前回の
ロシア人墓地から日露戦争関係ということで、三笠を見に横須賀へ。
日露戦争時の連合艦隊旗艦である三笠は、
横須賀市の三笠公園に記念艦として保存されています。
日露戦争のクライマックスである日本海海戦において、
連合艦隊司令長官東郷平八郎と共に日本を完全勝利に導いたこの艦は、
明治35年英国ビッカーズ造船所で竣工、当時世界弟一級の新鋭艦であったという。
艦尾部。
明治38年5月27日午後2時5分。この三笠を先頭に連合艦隊はバルチック艦隊の前で
敵前大回頭、いわゆる「東郷ターン」を行い、集中砲火をうけた三笠は30発以上被弾しますが、
ターンを終え反撃を開始し、バルチック艦隊を完膚なきまでに叩きのめします。
30センチ主砲とマストのZ旗。
有名なZ旗は「皇国のノ興廃コノ一戦ニアリ、各員一層奮励努力セヨ」という信号なわけですが、
日本海海戦の大勝によりその後、海戦ではないのに
ピンチの時にはZ旗みたいな感じで慣用されたようです。
まあ縁起担ぎということです。
主砲から前甲板を。
大日本帝国海軍から海上自衛隊にいたるまで、甲板のゴミは
連合艦隊司令長官でも一兵卒でも気が付いた人が拾うのが伝統だそうです、
だからこそ常に甲板は美しく保てるのだと。
しかし会社でつまらん上司に「おい君、そこにゴミが落ちてるぞ、拾っとけ」と言われても、
気付いたんならお前が拾えとは口が裂けても言えませんが。
三笠その2へつづくロシア人墓地へ戦艦「陸奥」沈没位置へ旧呉海軍工廠へ
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- 2011/08/02(火) 21:31:00|
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