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アユタヤとの貿易に携わった日本人たちが暮らしていたという日本人町跡です。
「アユチア」となってますがなんでなんでしょう。入場料20バーツ。

無論建造物などなにも残ってないが、こじんまりとした資料館がある。

チャオプラヤ川が望めます。
なんでも関が原の戦い及び大阪の陣で主君を失った浪人たちが数多くアユタヤに渡り、
傭兵として雇われたそうだ。
ビルマの圧力に悩まされていたアユタヤがサムライの力を買ったわけですな。
戦国時代を生き抜いた彼ら、遠くアユタヤの地で日本刀の切れ味を見せ付けていたのだろうか。
そんな軍事的な要素と同時に日本との朱印船貿易によりアユタヤ日本人町は発展を遂げ、
最盛期には2000人~3000人の日本人がいたといわれている。

日本人町の頭領であった山田長政の像。
1630年、なんか王位継承に首を突っ込んだため毒殺された模様。
そして日本人町も同じ年に謀反の動きがあるとして焼き払われる。
運転手も岩鬼みたく「ヤマダ、ヤマダ」と言っていたが、おススメ度は低いです。
まあここには日本人しか来ないとは思いますが。
ロット・トゥーで再びバンコクへ
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- 2013/02/13(水) 19:55:24|
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