さまよう雨男

出掛けると道に迷うか雨に降られます。 そんな私の散策の記録。

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旧海軍兵学校生徒館(海上自衛隊第一術科学校・幹部候補生学校)  広島県江田島市

呉から江田島へ。
P5014145.jpg
華やかでもあり、悲しげでもある江田島海軍兵学校の歴史は、
東京築地にあった海軍兵学校が、明治21年江田島に移転してから始まります。
江田島の象徴である美しい赤レンガの旧海軍兵学校生徒館は、明治26年に建築。
幾多の人材を輩出し、現在も海上自衛隊幹部候補生学校として使用されている。
P5014147.jpg
イギリス人建築家のジョン・ダイアックの設計。どういう人かは知らんが海軍は英国好きなのはわかる。
東京から海軍兵学校が江田島に移転してきたのは、
上の人達が、やっぱり遊ぶところが無いほうが良いと思ったのか。
P5014151.jpg
呉港からフェリーで小用港へ、そこから路線バスで術科学校前バス停下車。
入り口で受付してから案内の人に付いて集団で見学します。
平日だけでなく土日祝日も見学出来るのがありがたい。

見学に来ていた人達も、案内人のユーモア溢れる説明で盛り上がっていました、
見学の態度から察するに、ほとんどの人は普通の観光地くらいにしか思ってないだろうと思う。

観光地化される、というかなってるのを、批判するつもりはさらさらないが、
ただ防衛省の市ヶ谷ツアーでの、案内の自衛官の方の最後の言葉、

「現在日本は、尖閣諸島や北方領土の問題を抱えています、
             この見学を機に、自国を防衛するということを
                          少しでも考えて頂ければ幸いです」


そう、自衛隊の施設を一般人に見せる目的というのはそういうことだと思う、ウケ狙いする必要など決してない。

旧海軍兵学校大講堂へつづく

旧呉鎮守府へ
旧呉海軍工廠へ
旧呉海軍工廠本部前へ
旧呉海軍工廠電気部関係建造物へ



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  1. 2011/10/03(月) 22:03:57|
  2. 広島県
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旧海軍兵学校大講堂 (海上自衛隊第1術科学校・大講堂) 広島県江田島市

P5014139.jpg
海上自衛隊・第1術科学校の見学のルートはまずこの大講堂からです。
(以下、海上自衛隊・第1術科学校HPから)
兵学校生徒の入校式、卒業式また精神教育の場として大正6年に建築。
現在は幹部候補生、自衛隊生徒等の入校式、卒業式等儀式に使用されている。
外壁には瀬戸内海産の花崗岩を使用。こちらは生徒用の玄関がある海側。
P5014131.jpg
内部へ。
P5014134.jpg
約2000名の収容能力があるそうです。
P5014189.jpg
こちらは内陸側の車寄せのある玄関。
えら~い人用。

教育参考館へつづく

旧海軍兵学校生徒館へ
旧呉鎮守府へ
  1. 2011/10/04(火) 20:14:20|
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旧海軍兵学校・教育参考館 (海上自衛隊第1術科学校・教育参考館)  広島県江田島市

P5014185.jpg
教育参考館は、兵学校卒業生の積立金と一般企業等の寄付で、昭和11年に建築。
設計は建築家、山下寿郎(やました としろう)。
ギリシャ神殿風の大オーダーが並ぶこの建物には、海軍ゆかりの品々が展示されています。
東郷平八郎と山本五十六の遺髪室などもあります。
ちなみに内部は撮影禁止、そして脱帽して入館せよ。
P5014158.jpg
教育参考館には、戦前約40,000点の歴史的資料が保存されていたが、
進駐軍による没収を恐れて焼却処分された。現在は返却された資料等約16,000点を保存し
そのうち約1,000点を展示している。


定期的に見学できる海上自衛隊の資料館的な所は、
ここも佐世保も鹿屋も、日本海軍の創始から日清および日露戦争、そして大東亜戦争への歴史、
そして終戦後の現在の海上自衛隊の活動の紹介へという流れなのだが、
朝霞の陸上自衛隊広報センターは、現在の陸上自衛隊の活動しか展示されてないわけで、
なにか海軍と陸軍の気風の違いというのを、感じてしまうわけですが。

教育参考館横の展示物へ
特殊潜航艇「甲標的」へつづく


旧海軍兵学校生徒館へ
旧海軍兵学校大講堂へ
東郷平八郎誕生地へ
東郷平八郎と言えば三笠へ
  1. 2011/10/06(木) 20:10:39|
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特殊潜航艇「甲標的」     海上自衛隊第1術科学校   広島県江田島市

「筒、今日も還らず」
P5014173.jpg
特殊潜航艇は別名を「特潜艇」もしくは「筒」とも呼ばれ、
ひっそりと敵艦に近づいて、搭載された2個の魚雷を命中させるという
コンセプトで開発された潜水艇である。
ワシントン軍縮会議の後、苦肉の策として昭和7年に海軍の艦政本部で計画され、
昭和16年1月、訓練を開始する。
P5014182.jpg
特殊潜航艇はハワイ真珠湾作戦に別働隊として参加、昭和16年12月8日未明潜水艦から5隻が発進、
戦果は無く、帰還艇なしという結果に終わり、捕虜となった1人を除き、9名が戦死。
もとより山本五十六司令長官は、ハワイ攻撃は航空機による雷撃作戦であり、
しかも特殊潜航艇は艇員の収容が見込めないため反対だったという。
(「奇襲 薩摩パールハーバーの男たち」より)

この特殊潜航艇はそのときの5隻の特殊潜航艇のうち1隻であり、
昭和35年6月13日、真珠湾港外約1マイルの地点で、米海軍により発見され引揚げられる。
昭和36年7月10日、約20年振りに横須賀に持ち帰られ、同7月28日江田島に到着。
艇体頭部は、当時切断されていたが昭和37年2月、株式会社呉造船所により新製され復元される。
P5014162.jpg
山本五十六司令長官の反対に対して、部隊内で収容方法を提案し採用されるわけで、
特殊潜航艇は「特攻兵器」は無いが、もとより乗組員達は生還など期待してなく、
ほぼ「特攻兵器」であり、のちの人間魚雷「回天」などに繋がっていくわけである。

隣に展示してある「海龍」につづく

江田島海軍兵学校へ
真珠湾奇襲の訓練が行われた鹿児島へ
一式陸攻へ
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  1. 2011/10/07(金) 23:11:35|
  2. 海のもの
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特殊潜航艇「海龍」試作3号艇  海上自衛隊第1術科学校  広島県江田島市

P5014180.jpg
海龍は昭和18年、横須賀海軍浅野卯一郎中佐の着想により、昭和20年4月の量産発令と共に急造された、
本土防衛の為の特攻兵器であり、終戦まで230艇が建造されたが、実戦で使用されることは無かった。
P5014177.jpg
この「海龍」試作3号艇は、搭乗員の教育用に内部が見えるようになっているとのこと。
P5014178.jpg
「海龍」の量産型は大和ミュージアムに展示されています。

「海龍」後期量産型へつづく

特殊潜航艇「甲標的」へ
旧海軍兵学校へ
潜水艦「あきしお」へ
  1. 2011/10/08(土) 20:55:02|
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