さまよう雨男

出掛けると道に迷うか雨に降られます。 そんな私の散策の記録。

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零式艦上戦闘機32型   大刀洗平和記念館   福岡県筑前町

零戦3機目は福岡へ
零式艦上戦闘機32型3
戦局が不利になるにつれ、もはや体当たり攻撃しかないというなにか空気みたいなものに
支配され、世界史上前例のない飛行機による特別攻撃が行われます。
昭和19年10月、フィリピン・レイテ沖開戦において始めての特攻が実施され、
終戦まで数多くの若者が散華しました。
特攻にはいろんな戦闘機や爆撃機が投入されましたが、零戦は最も多く陸・海軍を通じて
640機が使用されました。
零式艦上戦闘機32型1
この機体はマーシャル諸島タロア島のジャングルにあったものを福岡航空宇宙協会が日本に
持ち帰り復元。その後名古屋の航空博物館、福岡の音楽館など流浪の旅をへて
現在この太刀洗平和記念館で展示されているわけです。
32型は主翼が直線にカットされており、主翼がちょっと短いのが特徴です。
零式艦上戦闘機32型2
大刀洗平和記念館には博多湾から引き上げられた陸軍九十七式戦闘機も展示されていますが
残念ながら撮影禁止です、靖国の遊就館もロビー以外は駄目だし、例の有名な鹿児島の記念館も
駄目だったなあ、遺品とか個人的なものとかはわかるんですけどね、まあいいや。

ここ大刀洗平和記念館周辺はかつて東洋一とうたわれた大刀洗飛行場を中心とした軍都でありました。
大刀洗飛行場跡へつづく

鹿屋航空基地史料館の零戦へ
靖国神社遊就館の零戦その1へ
一式陸攻へ
特殊潜航艇「甲標的」へ
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  1. 2011/06/02(木) 21:46:09|
  2. 零式艦上戦闘機
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大刀洗飛行場跡                  福岡県筑前町

かつて西日本一とも東洋一ともうたわれた大刀洗飛行場は
大正8年に完成し、飛行第四中隊が開隊します。
飛行第四中隊はのちに飛行第四聯隊に昇格、
昭和14年には日本最大の航空教育隊である第五航空教育隊が開隊し
帝国陸軍の重要拠点として発展していきました。
太刀洗飛行場1
飛行第四聯隊営門。実際の営門跡ではなく、少しずらして移築されています。
営門跡の奥には西日本航空発祥之地の碑と時計台を利用した慰霊碑があります。
太刀洗飛行場2
飛行機の射撃訓練を中から見ていたという監的壕、これも実際の場所からは移動されています。
太刀洗飛行場3
なにやらフルフェイスのヘルメットみたいだ、通称タコ坊主。

さらに周辺へ
大刀洗飛行場跡その2へつづく

大刀洗平和記念館の零戦へ
調布陸軍飛行場跡門柱へ
茂原海軍航空基地の掩体壕へ
原爆ドームへ

  1. 2011/06/04(土) 17:54:56|
  2. 福岡県
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大刀洗飛行場跡   その2           福岡県筑前町

昭和20年3月27日、すでにアメリカによる本土空襲が激化する中
大刀洗飛行場にも74機のB-29が来襲、攻撃は6波に及び、1000発近い
爆弾を投下され大刀洗飛行場は壊滅します。
さらに同月31日2回目の空襲により航空機製作所などが爆撃されます。

終戦後、跡地は農地やキリンビール工場などに転用され、当時を偲ぶものは多くはありません。

大刀洗飛行場4
大刀洗憲兵分遣隊跡のレンガ塀。
大刀洗平和記念館での当時の再現ビデオに出てきます。
あまり無いんですよね、わかりやすく当時の景観が残ってる所が。
大刀洗飛行場5
大刀洗飛行場は昭和12年ころより付属する施設が多くなり、
特に航空兵を育成する学校としての色彩を強めていきます。
大刀洗陸軍飛行学校は本校と呼ばれ、西日本に点在する飛行学校の中核的な役割を果たしていました。
特攻基地で有名な知覧も大刀洗の分校でありました。

ということなので次は知覧へ行きたいと思います。
知覧飛行場跡へつづく

大刀洗飛行場跡その1へ
大刀洗平和記念館の零戦へ
河口湖自動車博物館飛行館の零戦21型へ
陸軍鉄道第一連隊材料廠へ
  1. 2011/06/05(日) 19:56:32|
  2. 福岡県
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知覧飛行場跡    給水塔 ほか         鹿児島県南九州市

知覧飛行場は昭和16年、陸軍の訓練用飛行場として開設。
昭和17年に太刀洗陸軍飛行学校知覧分教所が開校、少年飛行兵らが訓練を重ねていたが
昭和20年に戦局の悪化により本土最南端の特攻基地となり
特攻作戦で亡くなった1036人のうち439人が知覧飛行場から出撃した。
知覧飛行場
この給水塔は昭和16年、飛行学校の一つの施設として建設され
給水塔の水は主に飲料水や飛行機の整備のために利用されました。
知覧平和公園の北側、グラウンドの道向かいにひっそりと佇んでいます
知覧特攻平和会館の人の多さはどこへやら。ちなみに南九州市の市指定史跡。
知覧飛行場2


知覧飛行場3
給水塔のすぐそばにある防火水槽跡。
本部用の防火水槽じゃないかと言うことです、平成16年に現在の場所に移設。
ちなみに国登録有形文化財。文化財の指定の基準もよくわからんがなにかあるんでしょうな。

さらに周辺へ
知覧飛行場跡その2へつづく

大刀洗飛行場跡その1へ
靖国神社遊就館の零戦へ
大津島回天基地跡へ
紫電改展示館へ
市ケ谷記念館へ
  1. 2011/06/07(火) 22:23:40|
  2. 鹿児島県
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知覧飛行場跡    弾薬庫 ほか        鹿児島県南九州市

知覧飛行場跡4
旧陸軍知覧飛行場弾薬庫。国登録有形文化財。
訓練用実弾の倉庫。壁面には米軍の攻撃跡が残っています。
知覧飛行場跡5


知覧飛行場跡6
これも国登録有形文化財で旧陸軍知覧飛行場着陸訓練施設鎮碇。
当時の飛行機は両翼と機体後方にある3つの車輪を同時に着陸させるという
3点着陸でした、そのためどのくらいの高度で3点を接地するのかを訓練するための施設とのこと。
と言われてもどのように使用するのかはよくわりませんが、とにかくここはもともと教育施設であり
それが特攻基地になってしまった、何故ならざるを得なかったのかと考えさせられます。


さて知覧特攻平和会館ですが陸軍4式戦闘機「疾風」陸軍3式戦闘機「飛燕」
など貴重な機体がありますが撮影禁止なのであしからず。
とくに鹿児島県甑島の手打港で海没していた零式艦上戦闘機52型丙はボロボロだけれども
妙になにか美しく・・・

で次は知覧から加世田へ・・・幻の特攻基地と言われる場所へ向かいますが、ちょっと寄り道して、
旧勝目郵便局へつづく

万世飛行場跡へ
知覧飛行場跡その1へ
大津島回天基地跡へ
上野の国立科学博物館の零戦へ
  1. 2011/06/09(木) 20:38:24|
  2. 鹿児島県
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