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まずは靖国神社遊就館へ、
日本が誇る、そして悲劇の名機「零戦」を見にいきます。

事前に吉村昭の小説「零式戦闘機」を読んで意気揚々と出掛けてまいりました。
遊就館の展示物は撮影禁止なのですが、零戦の展示してある1階ロビーだけは撮影可能です。

さてこの零戦、昭和12年に海軍からこんな性能の戦闘機を開発しろということで、
「十二試艦上戦闘機計画要求書」が三菱重工業、中島飛行機に交付されます。
まあそれは結構無茶な要求でして、中島が辞退する中
かの有名な堀越二郎を主務者とした三菱設計陣が開発を進め
昭和15年に海軍の制式戦闘機として採用されます。
そしてその年の皇紀2600年を記念し、末尾の0をとって
「零式艦上戦闘機」と命名されます。
零戦は繰り返し改良され、この52型は零戦各型でもっとも多く生産されました。
丸く成型された翼端が特徴的なのだそうだ。
靖国神社遊就館の零戦その2へつづく九三式中間練習機へ若獅子神社の九七式中戦車へ土浦海軍航空隊跡 医務科棟へ
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- 2011/05/27(金) 23:55:56|
- 零式艦上戦闘機
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零戦の初戦闘は支那事変、いわゆる日中戦争における重慶上空での空戦により
零式戦闘機隊13機は中国空軍戦闘機27機を撃墜、味方の損失無しという驚異的なデビューを飾ります。
その後も中国空軍に対しその類まれな航続距離と運動性により圧倒的な強さを発揮します。

そして日中戦争が泥沼化する中、日米関係は悪化しついに日米開戦の日がやってくるわけです。
この機体はラバウルで見つかった主翼胴体とミクロネシア、ヤップ島で発見された
零戦5機を日本に持ち帰り復元されましたとのことです。
上野の国立科学博物館の零戦へつづく靖国神社遊就館の零戦その1へ万世特攻平和祈念館の零式水偵へ調布飛行場跡へ
- 2011/05/28(土) 22:39:56|
- 零式艦上戦闘機
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靖国から上野へ零戦2機目を見に行く。

昭和16年12月8日、海軍によるハワイ奇襲及び陸軍によるマレー上陸により大東亜戦争、
俗に言う太平洋戦争が勃発します。
零戦は緒戦において連合軍機に対して圧倒的な強さを誇ります。
吉村昭「零式戦闘機」より
「かれらにとって、零式戦闘機は、すでに戦闘機でははなく、神秘性をおびた奇怪な飛翔物だった」そんな感じだったわけですが、戦局はミッドウエー海戦の大敗北から悪化の一途をたどります。
そして零戦は不幸にも不時着した無傷の機体を米軍により捕獲され、
徹底的な研究によりその神秘性を失います。
そして次々と新型戦闘機を繰り出していく連合国に対し
日本は零戦の後継機を開発できないまま零戦の改良型により応戦するしかなく
敗戦に向かっていくわけです。

この国立科学博物館の展示されている零式艦上戦闘機21型は、ラバウル近辺の海底から
引き上げられたものを復元。当時ラバウルで偵察用に2座席に改造されたものということです。
エンジン見えるようになってますがどうなんでしょう。
福岡県の太刀洗平和記念館の零戦につづく靖国神社遊就館の零戦その1へ秋水へ上野動物園へ
- 2011/05/30(月) 22:32:22|
- 零式艦上戦闘機
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零戦3機目は福岡へ

戦局が不利になるにつれ、もはや体当たり攻撃しかないというなにか空気みたいなものに
支配され、世界史上前例のない飛行機による特別攻撃が行われます。
昭和19年10月、フィリピン・レイテ沖開戦において始めての特攻が実施され、
終戦まで数多くの若者が散華しました。
特攻にはいろんな戦闘機や爆撃機が投入されましたが、零戦は最も多く陸・海軍を通じて
640機が使用されました。

この機体はマーシャル諸島タロア島のジャングルにあったものを福岡航空宇宙協会が日本に
持ち帰り復元。その後名古屋の航空博物館、福岡の音楽館など流浪の旅をへて
現在この太刀洗平和記念館で展示されているわけです。
32型は主翼が直線にカットされており、主翼がちょっと短いのが特徴です。

大刀洗平和記念館には博多湾から引き上げられた陸軍九十七式戦闘機も展示されていますが
残念ながら撮影禁止です、靖国の遊就館もロビー以外は駄目だし、例の有名な鹿児島の記念館も
駄目だったなあ、遺品とか個人的なものとかはわかるんですけどね、まあいいや。
ここ大刀洗平和記念館周辺はかつて東洋一とうたわれた大刀洗飛行場を中心とした軍都でありました。
大刀洗飛行場跡へつづく鹿屋航空基地史料館の零戦へ靖国神社遊就館の零戦その1へ一式陸攻へ特殊潜航艇「甲標的」へ
- 2011/06/02(木) 21:46:09|
- 零式艦上戦闘機
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さて零戦4機目は、
海上自衛隊鹿屋航空基地にある鹿屋航空基地史料館に展示してある零式艦上戦闘機52型です。
鹿屋航空基地史料館には我が国の海軍発祥から現在の自衛隊の活動に至るまで
貴重な歴史資料が展示されています。

この機体は鹿児島県の錦江湾と吹上浜の海底から引き揚げられた
2機の零戦を元に1機の零戦として復元されました。
史料館では遺品などの個人的なものは撮影できませんが、零戦は撮影可能なので
ビシバシ撮ってくださいと親切に言って頂きました、さすが四方の海を守る漢達。
入り口にあった海軍精神より
「スマートで、目先が利いて几帳面、負けじ魂これぞ船乗り」ごちそうさまでした。

「太平洋戦争は零式艦上戦闘機によって戦われた戦争と名づけてもよいと私は思っている」
(堀越二郎「零戦の遺産」から雑誌「丸」からの引用)
しかるに零戦の類まれな高性能がなければ対米戦を決意することは難しかっただろうと。
そして零戦の高性能を獲得するため失った防御力の為に、多くの優秀なパイロットを失い、
訓練もままならない若い命を次々に戦場に送り込まなくてはならないという状況に追い込まれ、
最後には機体もろとも突撃していくわけです。
鹿屋航空基地史料館へは鹿児島中央駅から鹿屋行きのバスが出てまして、
これがフェリーに乗るという珍しい路線バスで、
フェリー内でうどんを食し、桜島を眺めるというのが、いい旅夢気分です。
航空隊前下車、徒歩数分。
二式大艇へつづく河口湖の零戦へ靖国神社遊就館の零戦その1へ茂原海軍航空基地へ九三式中間練習機へ
- 2011/06/25(土) 17:02:09|
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再び零戦を求めて山梨県の河口湖自動車博物館へ。
この博物館は会社経営者で元レーサーという館長がコレクションした自動車が展示してあり、
付属施設である飛行館は、館長が私財を投じ収集、復元した飛行機やエンジンなどが展示されています。
ここは本館共々毎年8月だけしか開館してないので注意が必要ですが、
毎年展示機の復元が進んでたりして、毎年訪れる方もいるようです。
ここではこの零式艦上戦闘機21型を含めて東南アジアの島より回収してきた機体をもとに
3機の零戦を復元、そのうちの1機は靖国神社「遊就館」に展示されているそうだ、そうあの
52型です。

この機体は中島飛行機製91518号機だそうです、21型は艦載を前途としているので
主翼の翼端が折り畳めます、それをちゃんと見せてくれているのが良いです。
中国戦線および大東亜戦争緒戦で無敵を誇ったのはこの21型で、
なにか零戦というと緑色というイメージですが、真珠湾を含めてやはりこの色なのでしょう。

この「AI-101」という機体ナンバーは真珠湾攻撃において1番機の栄誉を担った、
板谷茂少佐の機体のナンバーなのだそうだ。
入館料1000円、自動車館とは別料金、高いか安いかは個人次第。撮影は1眼レフ禁止。
他の展示機へ
九三式中間練習機へつづく
河口湖自動車博物館の零戦52型へ靖国神社遊就館の零戦へ上野の国立科学博物館の零戦へ秋水へ
- 2011/08/13(土) 13:14:44|
- 零式艦上戦闘機
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河口湖自動車博物館の2機目の零戦は52型です。
館長曰く、「こうなったら死ぬまで復元は続ける」と、
決して真似できることでは無いです。
さて零戦のエピソードと言いますと・・・
吉村昭「零式戦闘機」は機体が牛車で運搬される様子から始まります。
当時世界最新鋭の戦闘機を牛車で運搬することになるのは、
当時まだ道路の整備ががされてなく、零戦を製作する三菱名古屋航空機製作所から飛行可能な
48キロ離れた各務原飛行場まで運ぶのに、トラックだと悪路による振動で、
機体が傷だらけになってしまうということで、どうしようと考えた結果、
馬車だと馬は暴れると怖いから牛にするかということで、時速500キロを超える戦闘機を
さながら平安貴族のように、トラックなら2時間、馬車なら12時間のところを、
牛車でトコトコと24時間かけて輸送することになるわけです。
飛行機工場の近くに飛行場が無いのを含めて、
なにか日本人の技術力はあっても戦略的な事が苦手な感じが出てるのかなという感じがいたします。
ここに牛車で零戦が運ばれた様子が描かれた画像を置いておきましたのでよければ
旧信濃牛馬合資会社へ
「豹」は第263航空隊を表す。
戦局が悪化の一途を辿る昭和19年、戦局挽回の願いを込めて、
マリアナ諸島グアム島、テニアン諸島ペリリュー島へ進出。
しかし圧倒的不利な状況の中、全機を失いわずか開隊から10ヶ月でその歴史を閉じることになる。
(案内板から抜粋)
河口湖まで来たので静岡方面へ。
若獅子神社の九七式中戦車へつづく河口湖自動車博物館飛行館の零戦21型へ浜松の零戦へ大和ミュージアムの零戦62型へ靖国神社遊就館の零戦へ、もしくはカテゴリーの零式艦上戦闘機から。
- 2011/08/18(木) 21:13:35|
- 零式艦上戦闘機
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さてと零戦7機目へ、東海道本線で浜松へ。

航空自衛隊の広報施設である浜松広報館、通称「エアーパーク」へ。
装備や航空機などを展示し、自衛隊のお仕事を紹介。
1999年4月にオープンして以来、無料だったのですが民主党の政策により、
2010年11月1日より有料化、2011年2月より再び無料。
民主党の政策ってのは、私の女性のタイプ並みによくブレます。

展示格納庫に零戦52型甲があります、
吊ってあるので近くでよく見えないけど、下から見えるのはここだけなので、良いのではないかと。
若干おもちゃぽい感じですけど。
52型甲ってのは、52型から火力アップと急降下制限速度の向上のため、改造された機体だそうだ。
20ミリ機銃をベルト給弾方式したり、推行弾数を100発から125発にしたりとかしたらしい。
ただ名古屋の三菱の史料館のおじさんは言ってました、
「だけど零戦ってのは21型から良くなって無いんだよね~」特に32型は酷評してました。

この機体は三菱名古屋工場製造、1963年グアム島で発見され修復。
全国各地で展示されたあと浜松基地で保存、1999年から浜松広報館にて公開。
浜松広報館へは浜松駅からバスで泉四丁目下車、バス進行方向へ歩いてから左折、
住宅地を15分位歩くと建物が見えてきます。
浜松散策へ
旧浜松銀行協会へつづく
靖国神社遊就館の零戦へ鹿屋航空基地史料館の零戦へ大刀洗の32型へ大和ミュージアムの零戦62型へ
- 2011/09/03(土) 23:54:52|
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大和ミュージアムの館内へ。

大和ミュージアムに展示されている零式艦上戦闘機62型、中島82729号。
明治基地(愛知県安城市)第210海軍航空隊の所属機で、
昭和20年8月6日エンジントラブルで琵琶湖に不時着水、昭和53年に引き揚げられる。(案内板から)

京都の嵐山美術館で展示してあった時は63型と説明されていたそうだ、
堀越二郎の「零戦の遺産」にも63型の説明しかなく、
零戦を急降下爆撃機として使用するため250キロ爆弾を積めるように改造した機体だそうだ。

左に見えるのが「栄31型甲エンジン」、63型は「栄31型」で、
調査の結果「エンジンに甲って書いてあるぞ、んじゃ62型だぞおい」ってな感じらしい。

零戦などに設置されていたという四式射爆照準機。

支那事変でデビューした零戦が大戦末期まで必死に改造されて使用された、
皇紀2600年により零戦と名付けられたこの名機も、
敗戦の皇紀2605年にはすでに時代遅れの機体となっていた。
となりの
「てつのくじら館」へつづく
靖国神社遊就館の零戦へ鹿屋航空基地史料館の零戦52型へ河口湖の21型へ大刀洗の32型へ浜松の52型甲へ98式射爆照準器がある
土浦駐屯地小火器コーナーその2へ
- 2011/09/14(水) 23:18:44|
- 零式艦上戦闘機
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三菱の史料室なら当然零戦があります、
といいますか前回の
秋水ではなく三菱が復元した零戦を展示するために、この史料室があるわけです。
史料室の方の話だと、
「中島の零戦ならあるんだけど、三菱が作ったのがなかなか無くてね~やっと見つかって持ってきたんだ」

この機体は昭和58年にミクロネシア連邦ヤップ島から持ち帰って復元、
持ち帰るにあたり
河口湖自動車博物館飛行館の館長の原田信雄さんの協力があったとのこと、
「我々には持ち帰るための交渉とかするルートがなくてね、彼に頼んだんだ」
天下の三菱にお願いされるとは彼はいったい何者なのだろう、
元レーサーで会社経営だけでは説明がつかない凄い人のようだ。

うざい団体客みたいのがいなくなり、ほぼ我々の貸切状態でして史料室の方の説明を聞いて周りました。
タラップ上らしてと言おうと思ったら、なにか連絡があったらしく行ってしまわれたので、
勝手に上るわけにはいかないので諦めた。
帰る時に史料室の方が戻ってこられたのでお礼を言うと「良かったらまた来てね」と言われました、
まあ2回はいいかな、平日はなかなか動けませんので。

月、木曜日のみ電話で予約して見学、私は木曜日の予約を月曜日に取りましたので寸前でも大丈夫かも。
駐車場はありますので予約した名前を守衛さんに言えば大丈夫、
私は日産車ですがト○タ博物館みたいに遠い所に置かされることはないので大丈夫。
とりあえず常時見ることが出来る国内の零戦復元機9機は見たのでひとまず一休みです。
南極観測船「宗谷」へつづく
靖国神社遊就館の零戦52型へ鹿屋航空基地史料館の零戦52型へ河口湖自動車博物館の零戦21型へ河口湖自動車博物館の零戦52型へ大刀洗平和記念館の零戦32型へ浜松広報館の零戦52型甲へ大和ミュージアムの零戦62型へ国立科学博物館の零戦21型へ
- 2011/11/24(木) 23:20:05|
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